こんにちは、國本ひろみです。
この前「消えた天才」というTV番組を見ました。
100%負けていたという、すごい天才のエピソードが、とても印象的でした。
小学生時代のことだそうで、当時の映像も残っていました。
これ、小学生!?
と思うぐらいすごい技を披露し、
将来のオリンピック候補生に違いないと、
私の素人目にもわかりました。
しかし、彼は中学校に上がるとき、スケートをやめてしまいます。
理由は経済的なことでした。
本人もめちゃめちゃ張り切っていたし
これからも頑張るぞ!!というときに、
お母さんから
「ごめんね。
もう うちには、スケートを続けさせてあげるお金がないの」
と言われ、あきらめざるを得なかったのです。
聞けば、フィギュアスケートというのは
リンクを貸し切ったり、コーチをつけたり、振り付けを依頼したりと
年間1000万ほどの費用がかかるそうなのです。
きっと
お母さんもすごく悔しかったと思うのです。
だけどどうしようもなかったのでしょう。
現在は、会社員をされている彼が、
インタビューにこう答えていました。
「もしも金銭面が許せばフィギュアで五輪に行けたと思いますか?」
「ああ、それはないですね。
ぼくは、高橋選手が、右膝の大けがを乗り越え、
バンクーバー五輪で銅メダルを獲得したのを見て、
我がことのように喜びました。
おそらく自分には、
あそこまで血のにじむような思いはできないでしょう。
今は、やめたことへの後悔はないですね」
もしも、
もしもですよ、
お母さんが彼にスケートを続けさせてあげられなかったことを
ずっと悪いなあ、可哀想なことしたなあ、
と思っていたとしたら、
この言葉にとても救われると思うのです。
世の親は、
子どもには好きな道を歩んで欲しい
打ち込める何かを見つけて頑張って欲しい
お母さんもすごく悔しかったと思うのです。
だけどどうしようもなかったのでしょう。
現在は、会社員をされている彼が、
インタビューにこう答えていました。
「もしも金銭面が許せばフィギュアで五輪に行けたと思いますか?」
「ああ、それはないですね。
ぼくは、高橋選手が、右膝の大けがを乗り越え、
バンクーバー五輪で銅メダルを獲得したのを見て、
我がことのように喜びました。
おそらく自分には、
あそこまで血のにじむような思いはできないでしょう。
今は、やめたことへの後悔はないですね」
もしも、
もしもですよ、
お母さんが彼にスケートを続けさせてあげられなかったことを
ずっと悪いなあ、可哀想なことしたなあ、
と思っていたとしたら、
この言葉にとても救われると思うのです。
世の親は、
子どもには好きな道を歩んで欲しい
打ち込める何かを見つけて頑張って欲しい
と思うでしょうが、いくら思っても
中には、応援しきれない場面も出てくるでしょう。
そういうとき、過度に罪悪感を持つ必要はないと思います。
なぜなら、
そんなふうに、夢を絶たれるのも
人生の課題のひとつなのですから。
中には、応援しきれない場面も出てくるでしょう。
そういうとき、過度に罪悪感を持つ必要はないと思います。
なぜなら、
そんなふうに、夢を絶たれるのも
人生の課題のひとつなのですから。
魂の成長のために必要なことで、
そうなることは子どもはわかって、その家の子どもに生まれてきているのです。
もし子どもが、それをどうしても好きならば
きっと大きくなってから、またその世界に自分で入っていくことでしょう。
もし子どもが、それをどうしても好きならば
きっと大きくなってから、またその世界に自分で入っていくことでしょう。
お母さんが長く強く罪悪感を持ち続けていると、
子どももまた お母さんに罪悪感を負わせた自分に罪悪感を感じる可能性も出てきます。
きっと、自分で自分の道を選べる方だと思います。
「後悔はないです」