こんにちは、國本ひろみです。
前に観たいと思っていた映画をアマゾンプライムで観ました。
前に観たいと思っていた映画をアマゾンプライムで観ました。
全身の筋力が徐々に衰えていく
進行性筋ジストロフィーという難病を抱えた主人公
鹿野靖明さんと、
24時間体制で支えるボランティアさんたちの物語です。
書籍のタイトルは、
夜中にいきなり「バナナが食べたい」
と言い出した鹿野さんに対して、
「いい加減にしろよ」と一人のボランティアさんが
もらした言葉からつけられたそうです。
このシーンは冒頭から出てきたのですが
遠慮なくリクエストするのが、
気持ちよかったです。
ボロクソに言われながらも、やめずにいるボランティアさんが大勢いらっしゃいました。
映画ではその人達の背景は詳しくは出てこなかったんですが、
作者の渡辺一史さんの記事を見つけました。
そもそもボランティアをしている学生や主婦たちは、「いったい何を好きこのんでボランティアしているのだろう」という素朴な疑問があったからだ。
私はこの本を書く過程で、何十人ものボランティアにインタビューをすることになったが、たとえば、こんな学生ボランティアがいた。大学に入学したものの、大学の授業はつまらないし、自分はどうして大学なんてところに入ったんだろう、自分の「生きる意味」とはいったい何だろう、というような問いにつまずいてしまう学生である。そんなとき、大学の掲示板に貼られていた「ボランティア募集」のチラシを見て、「これだ!」と思ってやってくる。
鹿野さんのところには、他にも、マージャン三昧の怠惰な生活を「なんとかしたい」と思って来る学生や、あるいは、冷え切った夫婦関係の末に、「夫にとって私って何?」といった根源的な不安を抱えているような主婦もいた。
そして、「なぜボランティアをするのか?」という問いを重ねる途上で、一人の女性ボランティアがつぶやいた言葉にはドキリとさせられた。
《一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる》という言葉だ。
結局、この言葉を私なりにどう受け止め、この言葉に対してどんな答えを用意するのかが、この本を書く上での最大の “山場” ともなった。
ボランティアとは、ヒマと余裕があるからするものではない、という事実を知った。
なるほどと思いました。
自分より不幸な人がいると安心しに来たら、
鹿野さんはぜんぜん、不幸じゃなかった。
身体が動かないですけど、何か?
できないから頼んでるんですけど何か?
みたいに、
幸せの定義や神髄に気づかされるわけです。
幸せの定義や神髄に気づかされるわけです。
そして満たされない思いを抱え
見失った自分を、
自分をさらけ出して生きている鹿野さんを通して
自分をさらけ出して生きている鹿野さんを通して
見つめ直していくんだろなと思いました。
主演の大泉洋さんはこんなふうに、インタビューに答えていらっしゃいました。
これまでは「自分の子どもにどんな教育をしますか」と聞かれたら、「人に迷惑かけないようにしなさい」とずっと言ってきた。
でも、この映画を通して、それは違うんじゃないかと思うようになった。
今後は「できないことは人に頼りなさい、でも人に頼られたときは、それに応えられるような人になりなさい」と言うと思う。
でも、この映画を通して、それは違うんじゃないかと思うようになった。
今後は「できないことは人に頼りなさい、でも人に頼られたときは、それに応えられるような人になりなさい」と言うと思う。
迷惑かけないようにと思えば思うほど
迷惑ってかけちゃいます。
そんなふうに、他人を中心に生きるよりも
自分はどうしたいか?
の方が、ぜったい大切だと思うわ!
そんなふうに、他人を中心に生きるよりも
自分はどうしたいか?
の方が、ぜったい大切だと思うわ!
他人軸でブレブレになっちゃったら
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