こんにちは、國本ひろみです。
人口3000人というある小さな村で、
一人のおばあちゃんが亡くなりました。
そのお葬式には、1500人もの人が集まりました。
つまり、村の人口の半分の人が集まったのです。
一人のおばあちゃんが亡くなりました。
そのお葬式には、1500人もの人が集まりました。
つまり、村の人口の半分の人が集まったのです。
なんでそんなに人が集まったのか?
村長さんだったから?
有名人だったから?
社長さんだったから?
いいえ。
そのおばあちゃんは、
元小学校の先生で、
そのあとは民生委員のようなことをしていた
ごく普通のおばあちゃんでした。
なのに、なぜ、
お葬式に人口の半分が参列したのか!?
1500人もの人が、
お葬式にかけつけるほど
愛されていた理由ななんなのか?
おばあちゃんは、何も特別なことはしていなかったのですが、
ひとつだけ、決めていたことがありました。
それは、教え子のお店でしか物を買わなかったそうです。
どんなに近くに安いデイスカウントストアや
スーパーができても
そこで買うことはなく、
足を延ばし、2~3割高の
教え子の店でしか買い物をしなかったのです。
野菜もお肉も果物も、日用品から全部です。
おばあちゃんの日々の買い物は
ただ欲しい物を手に入れることだけが、目的ではなかった。
教え子の顔が見たい、
教え子を応援したい、
喜ばせたい。
というのが、きっと入っていたはずです。
これは
これは
人を喜ばせるお金の使い方です。
だから、
参列した1500人の人達は、
本当に感謝とお別れを言いに駆け付けたんだと思います。
私の親戚が、
このおばあさんの教え子ではありませんが、
このおばあさんの教え子ではありませんが、
町の電気屋さんをしています。
たしかに、量販店やアマゾンなどに押されて
かつての勢いはありませんが、
それでも今でもお店を閉めないでいるのは
こんな「おばあちゃん」が何人もいるからです。
そして、
電化製品を売る以外にも、
ちょっとした修理にはすぐに行ってあげたり
ついでに電球を替えてあげたり、
ときには、全然違う用事も引き受けたり
「うん、ええよ~~」
と、
喜ばれて嬉しい。
やってもらえてありがとう。
顔を見ながらの、そんなやりとりが、そこにはあるわけです。
ポチっとするだけで
欲しいものをアマゾンさんは届けてくれます。
でも、どれだけアマゾンや楽天でお買い物をしても、
困ったときに、
アマゾンは来てくれません。
楽天は助けてくれません。
だからこそ、
お互いに「ええよ~~」と気持ちよく言い合える関係は、すごく大事だと思うんです。
見えるものだけではなく、
見えないものでのつながりが、
大事だと、思うんです。
ただ笑顔が見たいから。
ただそういう目的で使う
人に喜ばれるお金が使いかたが、
助け合う
人に喜ばれるお金が使いかたが、
助け合う
与え合う
世界を作るのではないかな。
世界を作るのではないかな。
と、私は思います。
今日も「クニモト電気」さん、頑張ってます^^
見えない心の修理致しましょう。
↓↓