1月17日
『1.17』
神戸市民でも、これにピンとくる人が減ってきました。
26年前に阪神・淡路大震災が起きた日です。
私はあの日、あのとき
生後2か月の長男の授乳中でした。
あと5分早かったら、遅かったら・・・
座っていた場所が、あと10センチずれていたら・・・
そんなわずかなタイミングで
私も息子も無傷で済みました。
助かったのが「奇跡」です。
だから、思ったんです。
生かされた命を、しっかり生かさなければならない
って。
震災後すぐに作られた
「しあわせ運べるように」という歌があります。
当時、神戸市立小学校で音楽の先生をしていた
臼井真先生が
「生まれ育った神戸の復興のために
自分ができることは、音楽で表現することしかない」
と思って、わずか10分で書き上げられたそうです。
その後、あっという間に神戸市全域に広まり
3.11のときには替え歌となり、
多くの人を励ましました。
ーーーーーー
地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を
もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌
しあわせ 運べるように
ーーーーーー
聞くたびに、皆が涙し勇気をもらいました。
しかし、私はこんなことを思っていました。
「亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に 生きてゆこう」
は、重たい。
確かに、生かされた命を大切に生きる気持ちではありましたが
亡くなった人の分までは、
重くて背負え切れない。。。
亡くなった人が生きたかった「今日」と言う日を
亡くなった人の分まで生きるということは、
亡くなった人の分まで頑張るということで、
もうこれ以上、何を頑張ればよいのか。
頑張ってなどと言わないで欲しい。
などと思っていたんです。
それが
あるときから、捉え方が変わりました。
それほどまでにも力をなくしてしまったとき
生きている、亡くなっているに関わらず
『誰かのため』なら頑張れるのではないかと。
あきらめそうになる心を奮い立たせられるのは、
愛する誰かのためしかないんじゃないか。
誰かをしあわせにしたいという思いが
力を出させるのではないかと。
歌を聞くたびに
頑張りが足りないような気分になっていたのが
あるときから、純粋にエールソングに聞こえるようになりました。
人はみんな、誰かにしあわせを運ぶ人になれます。
何ができるできないではなく
ただ誰かのしあわせを祈り、
思いを寄せるだけでなれると思います。
だって、誰かが自分のしあわせを祈ってくれるって
しあわせな気分になるでしょ?
だから、人はみなしあわせを運べるんです。
あなたは、誰にしあわせを運びたいですか?
そうそう、
「あるとき」というのは、
私の心のブロックが緩んだときからです。
頑張らなければならない
ちゃんとしないといけない
というブロックを緩める方法を知ったときから
私は変わりました!
心のブロック解消と宇宙の法則が学べる
UMIマスターコース、13期生の私の受け持ちは残3つとなりました。
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