こんにちは、國本ひろみです。
「不登校は不幸じゃない」という子がいましたが、
「不登校は不幸」だからこそ、
その機能をはたしていたという、
あたしンちの話です。
私は、こうありたいっていう理想の家族の在り方を持っています。
結婚当初から、一緒のところもあれば変わったところもありますが、とかく子育てについては、大幅変更をしました!
結婚当初から、一緒のところもあれば変わったところもありますが、とかく子育てについては、大幅変更をしました!
25年前に、私はこうありたい、こうあらねばと、
誰に命令されたわけでもなく
なんとなく理想を作って、ソレになろうとしてきました。
なんとなくの理想の仕入れ元は、
親からの助言、TVやCMなどからの明るいイメージなど。
自分の中にないソレを取り入れようと、一生懸命になりました。
私の、「よい母」の定義は、
子どもを甲斐甲斐しく世話すること。
子どものことは、お母さんならなんでもよく知っていて、世界一の味方でいること。
ときに厳しく叱ること。
だから、
子どもは、アトピーやアレルギー症状を引き起こし、甲斐甲斐しくお世話させてくれたし、
「味方」になるために、
家に遊びに来たときカードを盗んだ友達に怒るシーンを作ってくれたし、
門限に遅れたら、締め出し大声で叱り、
ご近所に「しつけ」しているとアピールさせてくれました。
家に遊びに来たときカードを盗んだ友達に怒るシーンを作ってくれたし、
門限に遅れたら、締め出し大声で叱り、
ご近所に「しつけ」しているとアピールさせてくれました。
そんなこんなの すったもんだがあって
子どもは不登校から引きこもりになりました。
それはそれは「大問題」でした。
なぜ!?
こんなに一生懸命に頑張ってきたのに、
なにゆえこんなことになるんだーー!?
って。
でも、下の子どもも、考えたら不登校だったのですよ。
「考えない」と気づかないぐらいって?
小1から、だんだん学校に行かなくなり、
下手したら、PTA活動をしていた私の方が登校日数が多いぐらい。
おかげで中学に入っても、まだ九九がうろ覚えだった状態で、
学校に行かなくてもいいけど、勉強はした方がいいと思い、そこは、さすがにちょっと問題かもと思っていました。
しかし、
「不登校」という同じ出来事なのに、
かたや問題で、かたや問題ではないって、
どういうこと!?
それは、相手をどれだけ心配しているかどうかという差だと思うのです。
心配するということは、大丈夫かなーと信用していないことで、
ということは・・・
上の子は信用できなくて、下の子は信用できるって
ひどくないですか?
だから、
私のねらいは、
私のねらいは、
信用できない状態にして、子どもを心配する私の出番を増やしたいだけなのです。
なぜならば、それが「お母さん」だから。
なので、
「不登校は問題」=「不登校は不幸」ということで、
ワタシてきに、その機能をはたしていたわけです。
それは・・・
おかしい、変だ!!
何考えてんの!?
アホかーーー!
と気づいたら、
「問題」は「問題」ではなくなり、
長男は「引きこもり」の必要はなくなり、1人暮らしをはじめたし
長女は「勉強しない」の必要もなくなり、塾に行きはじめ、ちゃんと高校に合格しました。
カンタンに言いましたが、
ほんとうにそうなんです!!
もうちょっと詳しく教えて、ですか?
わかりました。
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